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新聞の仕事のその後です。。

(前回の新聞の仕事の続きになっています新聞の仕事

この当時ちょうど初めて求人を2014年の夏に出した関係で、この新聞の仕事もやりたい人が続出していました。
結果的には8月に求人で出会った人の知り合いがこの仕事をやることになるのですが、夕刊や朝刊ともに
誰にでもできる仕事
という意味ではうってつけでした。

夏ごろには夕刊で走っているコースの朝刊版のコースも月に2回くらい受けるようになり(メインドライバーは毎日走っているのですが、このドライバーの休みの日に走る、代走的な形)新聞の方も着々と仕事をこなして信頼を得ていました。。

ただ、夕刊の募集には「夏が終わるまで」
との期限が設定されていましたのでそういう意味で
終わりはいつなのか?という部分で引っかかりはありました。

この仕事を投げてくれている社長さんからは、この夏の時期
他の仕事の案件を投げられました。

朝の4時くらいにいつもの中継場所から博多駅(車で10分くらい)に持って行って、博多駅構内を3か所持っていってほしい(新聞を)。
毎日稼働で実際には30分後には終わる仕事
とのこと。

金額にして1000円

千円!!

ちょっとびっくりしました。。

とか、

その中継場所から福岡空港(車で15分くらい)の中2か所下ろして、これまた1000円。
日曜日だけ。。

とか。。

あまりに断ってばかりいたので、先方の社長さんもしびれを切らし、美味しい仕事だけやってて細かい仕事はできないとは何事だ!!と言わんばかりに言われたこともありました。
手伝ってもらわなきゃ困る!!
とか。。

個人的にはこの人ともちょっと付き合いづらいかな、と思い9月の半ば頃(もう夏は終わっていい頃だと思い)9月末で夕刊を終了して良いか?とこの社長さんに会いに行きました。。

ついでに、この社長から受けている仕事全部を一旦お返ししたい旨も伝えました。
ここで取引終了した方が長い目で見たらいいだろうなと思ったからです。

夕刊と朝刊の代走の件は了解をもらいましたが、スポット的な一発落としについては先方の社長さんもいつ来るかわからない仕事に手配ができないということで、代わりに走ってくれる人が見つかるまでは継続することになりました。

ここで、ちょっと厄介なことがあり、
夕刊を中継所に持ってくる人
がこの社長さんに仕事を投げている会社の社員の人
らしく、この社員の人がえらく自分を気に入ってしまって
やめさせるのは惜しい!
何で辞めるの?
と言い寄られました(笑)

実は間に入っている社長さんとうまくいかない云々の話をすると
11月には、(この時すでに夕刊も代走もしていない時期、スポットのみ)
その会社の社長さんから連絡がありました。。

話がややこしくなるので少し整理をしますが
今まで直接受けていた社長さんをBさん。
その上にいる会社をK会社。
K会社の社長さんをPさん。
そのK会社の社員さんをQさんとして
もう一度おさらいしますと

今まではBさんから仕事を受けていて、夕刊の時、中継所に夕刊を持ってきてくれていた人がQさんです。
で、朝刊の時の代走をするコースも普段はQさんが走っています。
また、スポットの時走る一発落としのときもQさんの後を追いかける形で走っていました。

つまり、Qさんと直接仕事をすることが多かったため、Qさんが自分が辞めると言ったときに相談にのってもらったわけです。

そして、11月の半ば頃。。
K会社の社長さんであるPさんが(北九州に本社があります)わざわざ福岡にやってきて、Qさん同席のもと私と会ってくれました。
実を言うと、Qさんと一緒に走っているスポット的な仕事がもう1コース、12月から始まるらしく、こういったスポット的な仕事はBさんの会社では受けたがらないため、私のところに話を持ってきた、というわけでした。
一応、形上はBさんの会社をすっとばしてしまうため、親会社であるK会社のP社長はBさんに断りの連絡をしたうえでの私との接触でした。

話がとてもややこしくなるため、極力秘密裏に合うのではなくオープンにした形を取った上で、お金の流れもとてもややこしくなっているのでいずれはストレートに仕事が流れるようにしたいと言ってくれました。

この時すでにQさんから仕事の依頼は受けるものの、お金の流れだけはBさん経由でした。
そのため、今後始まるスポット的な仕事は直接私とK会社との間で仕事をスタートする。

それまでの代走も復活し直接。
ただ、今まで走っていたスポット的な仕事はBさん経由。。

そうこうしながら12月新たなスポット的な仕事がスタートし、まず自分が覚えて次の人に引き継ぎを完了しました。このスポット的な仕事はタイミングが新旧全く一緒のため、依頼があるときは2本同時。ない時はどちらもない、といった仕事でその当時3人ほど仕事をお願いできる人がいた私は極力全員にこの仕事を教えて何とか切り盛りしていました。
12月、そんなに意識はしていませんでしたが物流業界はピークを迎え、新聞も31日中25回と全然週2.3回でない頻度を何とかこなしておりました(笑)

そして、年が明けた2015年の1月の終わりごろ
突然その時はやってまいりました。。

2月まであと数日だったと記憶していますが。。

夕刊スタートが13:20くらいですから、そのときも13:30くらいだったと思います。
突然Qさんから私に連絡がありました。
かなり興奮した様子で

「2月から夕刊を全部(月曜日から土曜日まで)走れる!?」

???
意味が分からなかったのですが、どうやらBさんが寝坊したらしく穴をあけたようで
このときはQさんが中継所に来てそのまま夕刊のコースを代走したようでした。

聞けばこれが最初ではなかったようで、さすがに堪忍袋の緒が切れたと言ってました。
で、夕刊のこのコースを取り上げてそっちで全部対応できるか?
という話でした。
即座に走れます!
と返答した後QさんはK会社の社長Pさんと相談したうえで翌日Pさんから直接連絡がありました。

こうして2月から毎日夕刊を走ることとなった私は、嫁に夕刊のコースを教えて嫁が走ることとなるのです。

方向音痴なうえに車の運転も心もとない感じではありましたが、私自身も他に灯油の配送やら医薬品の配送やら花の配送やらスーパーの配送やら、絶対に夕刊を走れる保証がなかったため、じっくりと嫁に仕事を教えて2月から少しづつ走ってもらい、当時はまだ靴の販売のアルバイトをしていた嫁も4月までに仕事を辞めて、夕刊専属で4月から走ることになりました。

夕刊専属で走ってガソリン代を引いても嫁が今までアルバイトしていた仕事と同じくらい。
だいたい6時間前後の仕事に対して、夕刊は実働で45分くらい。
待機時間と帰ってくる時間を含めても半分くらいの時間で、しかも走っている間は自分の時間みたいなもの。。

慣れてからは嫁は喜んで仕事しております。
毎日走らなくてはなりませんが、それでも仕事の内容からすれば
今までで一番良いと言っております。

そんなこんなで、少しづつK会社との取引が始まりましたが、B社長との関係もこの後1年くらいは続くことになりました。
結果的に2016年の4月でスポットが定期の仕事に変わるタイミングでうちは完全に手を引くことができましたが、それまでは直接会話することもなく仕事の指示をもらうでもない状態で、約1年以上お金だけ経由することとなりました。

まぁ結果的にそのB社長がいなければ私も新聞の仕事をもらうこともなかったわけですから、このことについては感謝をしております。
筋を通すというのはとても忍耐が必要であり、焦ってこの”筋”というものをなえがしろにすればとたんに仕事はやってこなくなる。。
ともかくもまだまだ自分はひよっこと思って頑張るしかないなぁと思うのであります。。

この新聞の仕事は今でもスポット的な仕事と代走、夕刊と仕事をしております。
新聞業界も縮小の嵐ではありますが、仕事の依頼がある以上は続けていきたいなぁと思っております。。

以上、長くはなりましたが新聞のお仕事でした。。

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